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宇宙用の椅子を考えてみる
この「宇宙の手触り」で取り組む1つ目のテーマは椅子です。
地球上でもっともポピュラーなプロダクトの1つである椅子。
このテーマは、地球上の形とはきっと違う「宇宙用の椅子」をデザインすることを通して、宇宙のことを少しだけ理解する試みです。
「宇宙の手触り」というプロジェクト
まず、僕たちのプロジェクトとこのサイトのご説明から。僕らはたくさんの物に囲まれて日々生活をしています。それは、椅子であったり、コップであったり、コーヒーメーカーであったり。日常の生活には、よく使う物や触れる道具がいくつも存在します。そして、それらには使用する目的や想定される使用環境があります。椅子は座るための道具、コップは飲み物を飲むための道具。またそれは、家の中で使うものなのか、はたまた森のような屋外で使うものなのか。物たちは、目的や使用環境に応じた姿かたちをそれぞれしています。当たり前のことを書いていますが、僕らがよく知るそれらは、当然地球上で使うために最適化された姿かたちです。もし、宇宙での使用を想定するとすれば、その姿かたちはまったく違うものになるはずです。なぜならば、地球上と宇宙は、全く異なる環境だからです。僕らのプロジェクト「宇宙の手触り」は、それら「身の回りのもの」の「宇宙用」の姿をデザインすることを通して、一般の人にとってはまだ身近ではない「宇宙」という環境を、身近に感じてもらうためのプロジェクトです。よく知っている物の姿と、「宇宙用」の姿を比較することで、普段暮らす地球上とは全く異なる宇宙という環境について知り、思いを馳せるきっかけになればと思います。実は、僕ら自身も知らないことだらけ。このプロジェクトを通じて宇宙について学ぶことを楽しむつもりです。このサイトでは、最終のデザインだけでなく、僕らが紆余曲折し学びながらデザインをしていくその過程も合わせて公開していきます。
最初のテーマ「宇宙用の椅子」
今回のテーマ「宇宙用の椅子」では、無重力空間で座るための最適な椅子の形を考えます。宇宙は、地球とは違った「一風変わった」特別な環境です。そこで使う為の椅子もきっと「一風変わった」姿かたちになるでしょう。また椅子は、僕らの生活をサポートしてくれる重要な道具で、その姿かたちを多くの人がよく知るものですから、「宇宙用の椅子」とのかたちの違いを分かりやすく感じてもらえると思います。
今後、このような章の順番で、椅子についてのリサーチから、最終的なデザインまでをいくつかのステップに分け、報告したいと思います。
#1 宇宙用の椅子を考えることにする
#2 地球上の椅子を振り返ってみる
#3 宇宙で椅子を使うシーンを考える
#4 “椅子”と“座る”の解剖
#5 地球上の映画館を調査してみる
#6 Space chairが生み出す価値とは
#7 スケッチを描いてぐるぐる思考する
#8 Space chair完結
#9 鑑賞のお供〜コーラとポップコーン〜
宇宙に椅子は必要なのか?
今現在、宇宙環境に適した椅子は存在しないのでしょうか?
人が生活をしている代表的な宇宙環境、国際宇宙ステーション(ISS)を例に見てみましょう。将来においては、宇宙ホテル、火星基地など人が生活できる宇宙環境は増えるかもしれませんが、2023年現在において、人が一定期間生活している実績があるのは、国際宇宙ステーションただ一つです。国際宇宙ステーションでの、宇宙飛行士の平均滞在期間は約3ヶ月。時には半年や一年滞在することもあります。それだけ長い期間滞在するのであれば、時には座って体を休めたい時もあるでしょうし、座って作業に集中したい時もあるはずです。ならば、ひとつくらい椅子があってもおかしくありませんが、ステーション内に椅子らしい椅子は見当たりません。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)のサイトには、一般の方からの質問に金井宇宙飛行士がこんな回答をしています。
“地上では疲れるとイスに座りたくなったり横になって休みたくなりますが、無重力では、そういった感覚は起こらないんでしょうか??肩コリとか起こらないんでしょうか?”
“無重力では、立っても、座っても、寝ても、フワフワ浮いているのは一緒で、まったく疲れません。
地上では寝ていても、床に押し付けられている場所を変えるように寝返りを打ちますが、宇宙では寝返りの必要さえありません。
頭の重さを首が支える必要がないので、肩こりもしなくなりました!”
引用:https://iss.jaxa.jp/mt/mt-search.cgi?IncludeBlogs=1756&tag=第3回ISS・きぼう
地球上では立つ姿勢を続けると、重力に逆らうために脚を中心に全身の筋肉を使います。そして休息をとるために人は座ります。しかし重力のない環境では、重力に逆らう必要がありません。金井宇宙飛行士の言葉にあるように、無重力環境下では、あらゆる姿勢で筋肉を使う場面から解放されるため、身体的疲労が地球上と比べ大きく低減するようです。※1
宇宙では休息の姿勢が不要。ということは、宇宙用の椅子は不要なものなのでしょうか。
体勢を維持するための椅子らしきもの
これはあくまで僕たちの持論ですが、無重力空間において、身体は疲れない。それでも椅子は必要。これが、このテーマを通して導いた結論です。その理由は今後のレポートで詳しくお話していきます。椅子が必要だという考えに関する、ひとつの証拠を国際宇宙ステーション内で見ることができます。僕らは休息のために椅子を使う一方で、デスクワークのような、作業のために椅子を使います。宇宙飛行士も同じくデスクワークを行っています。宇宙飛行士が、国際宇宙ステーションで行う主な業務は、宇宙ならではの無重力や真空といった環境を利用した、高度な実験です。精密な装置を使った医学・生物学に関する実験を行うその時に、常に身体がフワフワと浮いていては正確な作業を行えません。その時、宇宙飛行士たちはどんな姿勢をとっているのでしょうか。ステーション内を映した写真や動画を見てみると、室内のあらゆる所に金属製の手すりが固定・設置されています。この手すりは、ステーション内での移動に利用されますが、両手をフリーにしながら同じ場所に留まる場合、この手すりに足をひっかけている様子がよく見られます。
この手すりが、宇宙空間にとっての椅子なのか、「立つ」ための道具なのかは、人によって回答が違うでしょう。ただ、明らかに体勢維持をするための道具として使われている点において、「椅子」の仲間と言っても間違いではないでしょう。では、宇宙用の椅子をデザインするというテーマがこれにて終わるかと言えば、そうではありません。これはあくまで、国際宇宙ステーションにおいての一つの答えであって唯一のものではありません。国際宇宙ステーションではない環境には、手すりとは異なる椅子が必要なはずです。その環境と椅子はいったいどんなものなのか想像を膨らませつつ、次回のレポートでは、僕らがよく知る椅子について振り返りたいと思います。初めから宇宙で使われる「特別」なデザインを始めるのではなく、まずは地球上で使われる「一般的」な椅子に焦点を当て、改めて椅子とはどんな道具であったか振り返りたいと思います。